福山市議会議員 田口ゆうじ コミュニティマーブル

関わる全ての人を幸せにしたいが私の理念です。多くの人が関わり合って助け合いながら共同で街をつくっています。街づくりを通じて幸せを感じれる人生を築ければこれほど素敵な事はないです。皆さんと楽しみながらいい街をつくりたいと思ってます。そんな考えの私が街に関する事、面白い取り組みなどを発信していくブログです。どうぞよろしくお願いいたします。

文化歴史

【松永歴史】7月13日蓮華寺にて

本日築城400年事業に松永を絡めるきっかけを模索 はね踊り、神楽、ひんようなど無形文化財への発表の場 干拓も農業をやっていたら儲かっていなかった 塩田だったからあそこまで発展した 江戸時代の福山藩の中で塩田がどれだけ貢献していたのかがわかる資料は…

【歴史文化】福山城築城400年事業に松永エリアを巻き込んでいきたい

2022年8月28日(日) 福山城築城400年記念日に向けて福山市は様々な取組を行っています 福山城ハード面での整備 主なソフト事業 大きく分けて4つの事業 福山の歴史を知る 松永エリアを考える 福山城の歴史から松永の歴史を知り 水野勝成公と本庄…

【福山歴史】本庄重政公の偉業を偲ぶ史跡巡り

本日6月24日松永の塩崎神社スタートで蓮華寺主催の本庄重政公の偉業を偲ぶ史跡巡りが行われました。 とても天気のいい、日でした。 コロナの影響で大々的にPRせずに身近な団体に声をかけられたそうです。参加者は制限もあり20名程でした。 本庄重正公のゆ…

【福山歴史】福山県があった

福山と備後は瀬戸内海の輝かしい歴史をもっていた なぜ福山の人は福山の歴史に自信が持てないのだろうか? 備後は明治維新以来政治的な中心地ではなくなった。 明治維新は「薩長幕府」 明治政府がおこなった廃藩置県のとき福山は当然のことながら「福山県」…

【福山歴史】松永の第二の産業下駄づくり 丸山茂助

松永は塩づくりの街でしたが明治11年 1878年 雨の日は塩づくりが出来ない為、副業として丸山茂助が下駄の製造を思いついた。 はじめは高級下駄だったが、回船問屋が運んできた油木という安い材料を使って下駄を作ったところ桐に似た白肌の下駄が出来て…

【福山歴史】塩づくりから生まれた松永

今の松永湾は昔「袋の海」と呼ばれていた 松永湾は遺芳湾(いほうわん)とも呼ばれていた。詩的な表現で菅茶山の命名 今の遺芳ヶ丘小学校はここから名づけられました。 まあるく囲まれた入江 海岸に面して小さな村々が静かに息づいていた。袋の海は静かでま…

【福山歴史】福山の上水道は江戸時代5番目!!

神田の上水道が日本の都市水道のはじまり 神田上水道は1590年、福山はその30年後に出来る 人が住むには飲み水がいる、物を運ぶのに運河が必要 水を流すのは勾配が必要だが、急勾配では水が無駄に流れすので勾配は出来るだけ低く抑えるのが技術。江戸神…

【福山歴史】なぜ徳川家康のいとこ水野勝成は福山に来たのか?

水野勝成21歳の時(当時は水野藤十郎)父に勘当され放浪の旅に出る 天を裂く水野勝成放浪記【電子書籍】[ 大塚卓嗣 ]価格: 1257 円楽天で詳細を見る 九州で戦乱あるところ藤十郎あり 藤十郎が使えた大名 佐々成正(さっさなりまさ) 小西行長(こにしゆき…

【歴史】福山初代城主 水野勝成(みずのかつなり)と徳川家康はいとこの間柄

1619年7月徳川幕府は福島正則を改易(かいえき)して領地を二つに分け、安芸に浅野長晟(あさのながあきら)、備後に水野勝成(みずのかつなり)を転封(てんぽう)した。 鉄覆山朱雀院久松城(てっぷくざんすじゃくいんひさまつじょう)(福山城) 1…

【ばらのまち福山】ばらの日

5月21日は『ばらの日』です。 大切な人にばらを贈りばらに込められた思いや願いを伝えう機会にしてみてはいかがでしようか? 今年の啓発ポスターはこちらです。 こんな時だからこそローズマインドで バラ 花束 20本 3980円 100本まで追加1本150円 本数指定選…

【文化歴史】松永下駄の生みの親 丸山茂助

松永の下駄商人だった丸山茂助は、燃料として使われる雑木の中から桐に似たアブラ木を用いて下駄を安く製造することを思い立ち、1878年に下駄生産を開始。機械化して大量生産したことで劇的に値段を下げた丸山の下駄は大ヒットとなり、他社も参入した結果、…

【文化歴史】福山市松永はきもの資料館

松永の歴史シリーズ 松永は「はきものの町」として知られている 当時製塩業では海水を煮詰めるのに大量の薪が必要でした。 そのため松永湾には船で運ばれた原木が貯木してありました。 その中に桐(きり)に似たコシアブラ(別名アブラギ)を使って下駄を作…